1月 23, 2014

そのまま撮れば良いじゃない

Posted in scrible tagged , , @ 13:19 by R_tungsten

I wish...

 フェンス越しやガラス越しでもホイホイ撮ってしまうのだが、思えば子供の頃はそんな事はしなかった気がする。
 撮りたい場所に人が歩いていれば、通り過ぎるのを待っていたし、バスに乗っていて撮りたい風景があれば可能な限り窓を開けていた気がする。通行人は雑景としか目に写らなかったし、綺麗な景色があればガラス越しは厭だったのである。
 なんでじゃろ?と疑問に思ってみる。

I and my sight

 歳を取った所為か、と言えばたぶんそうなのだが、雑景を愛せるようになったから、ではない。恐らく、撮る目的が変わったからなのだろう。
 例えば動物園に行ったとする。動物園とは一般的には動物を見る場所である。……当たり前だが。
 動物を見る目的で動物園へ行った人間にカメラを渡したら、たぶん、その場の人や檻は邪魔な物になるのである。だって動物が見たいし、それを記録に残したいんだもの。
 しかし最近は、動物園へ行こうと思うのは、別に動物が見たいからではなくなっている。もっと概念的と言うか、ぼやっとした目的である。要するに「動物を見たい」のではなく、「動物園を見たくて」動物園へ行くようになったのである。これは似て非なる目的である。
 動物園を見たくてやってきた人間にカメラを渡したら、その場の人も檻も動物園の一部なのだから、これはまったく雑景ではなくなる。むしろ、目的とした物そのものである。動物を見ている人も見たいし、動物を捕らえてある檻だってよく見たいのである。

中吉:特に何もしないほうが良い

 なんでそんなことになっているのか?動物に飽きたのか?いやいや別に飽きてないですよ。象のシワの数を望遠レンズで数えて小一時間潰したりしますよ(※実話。
 恐らく、写真を撮るという行為が「そこで完成しているものをそのまま保存する」ではなく、「自分が見たものをそのまま保存する」事を目的としているからである。良いじゃない、前に檻があったら檻ごと撮れば。だって僕は檻の中まで入った事ないし。誰も歩いていない街を僕は知らないし。人が歩いていれば、その人がそこを歩いている事が価値になる。全然知らん人だけど。
 とか良いながら、「あ、もうちょい右まで歩いてくんないかな……その方が絵的に良いんだけど」と思いながら、カメラを構えずに待っていることはあったりする。まぁ、それぐらいの意図は必要である。

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