3月 30, 2013

綺麗な写真の話

Posted in scrible tagged , , , @ 14:58 by R_tungsten

Who comes ?

 何か撮る前に、「心を澄ませていこう」と言うのは言葉の定義にもよるが、非常に危ない考え方なのではないか、と思うことがある。ともすると綺麗なものばかりに惹かれるようになってしまいそうである。心の感度という物は、全方向に平等に伸びていたほうがバランスが取れるのではー?とか。

 綺麗なものはそれだけで価値がある。ので、分かり易い。分かり易いが、突き詰められてない綺麗さと言うのは、突き詰められていない汚さより、面白くない。「あぁ、それなら僕も知っているよ」と感じられてしまったら、それはそこでおしまいである。気持ち悪いぐらいの執念で綺麗さを突き詰めていくと、それはもう綺麗なものではなくて、気持ち悪いものに変わるのだけれど、そういう気持ち悪さと言うのは面白いなぁ、と思う。

drop-out

 ロールのなかに安易に綺麗なものばかり並んでいると、「綺麗なだけのものばかり集めて並べて、一体何が創作だろうか、恥を知れ」と思う。心の感度の鍛え方が足りないのである。逆に安易に汚いものばかり並んでいると、「全体的にゴミ」と思う。要するに、安易さ、と言うのは嫌悪の対象になるのだろう。

displayed disorder

 と、するならば、被写体の価値と言うのは、一枚の写真に昇華するまでのあらゆる過程で、如何に執念と瞬発力を込めたのか、と言う事に凝縮されている事になるのだろうか。
 いずれにしても安易に綺麗なだけの写真を見たときの評価は、「あぁ、これは綺麗ですね」だけになる、と言うことを忘れずにいなければならぬ。そんな風には言われたくないものである。

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