12月 16, 2011

趣味が写真になる話

Posted in scrible tagged , @ 13:36 by R_tungsten

不思議色の夕焼け1

 「どの辺から『写真を撮るのが趣味だ』と宣言できるんだろう?」という話がある。
 この話の裏には「だって写真なんて誰でも撮れるし、事実撮ってるじゃないか」という考えが存在している。たしかに、誰だって旅行へ行けば、写真の一枚ぐらいは撮る。たとえ携帯電話にくっついてるカメラで撮るにしても。誰だって久しぶりに集まる仲間で飲み会を開いたら、記念写真の一枚ぐらいは撮るんである。
 どこからが趣味なのか。どこまでが趣味ではないのか。

 考えたって無駄である。趣味、という言葉の定義はわりと緩やかで、そもそも境界条件が曖昧なのである。「私はこれが趣味です」と言った瞬間、なんであれそれは趣味になる。「私はマッチ箱集めが趣味です」という人が、その言葉だけからどの程度マッチ箱を集めているのか想像するのは難しい。
 写真を撮るのが趣味です、と宣言した人が、たまに携帯で記念写真を撮るだけの人であってもなんら問題はない。逆に自室に暗室を作って毎日プリントを楽しんでいる人であっても問題はない。どちらも写真を趣味としている人である。

 そう言ったって、「ああ、自分にとってはこれが趣味なんだな」と自分で思えないことには宣言することはありえない。じゃあ個人的にはどこから趣味なんだと思えたのか、というお話になる。

early evening

 個人的歴史を紐解いてみると、僕の場合、中学二年のキャンプへ行く際に、父親にCanonetを借りたことが、写真を趣味にした始まりになる。撮り方の基礎も何も知らず、ただフィルムを巻き上げてレリーズを押すだけの状態から始まった。当然ほとんどは上手く撮れていない。それでも1ロールに1枚ぐらいは満足できる写真が撮れた。それはただの偶然撮れた写真。それを偶然ではなくしたいと思うことからのめりこんで行ったように思える。当時デジカメなど普及していなかったから、1枚1枚にお金がかかった。中学生の僕には1ヶ月に1ロールも撮れない。創意工夫はゆっくりとしたスピードで進んだ。それでも少しずつ打率は上がった。たぶんそれが楽しかったのだと思う。

 自分で満足できると、次には人に見てもらいたい、と思うようになる。「作品撮り」の始まりである。思うに、写真を撮ることを趣味と宣言するのはこの辺りからである。記念写真や絵葉書の裏の写真のような、現実の延長ではない、想像の産物としてのイメージの具現化、創作としての写真を意識したとき、誰かに自分を紹介する際に宣言してもいい、と思えるようになるんではなかろうか。
 記録を繰り返した後、執拗に取捨選択を繰り返し、何度も同じ現実に向き合い、現実の集合から、非現実を掬い上げる。僕は写真とはそういうものだと思っている。
 写真は誰にでも撮れるが、「その写真」は誰にも撮れない、貴方だけのものである。貴方の作り出した、現実とは異なる貴方の世界がそこには写っている。それに気づいているなら、写真を趣味と宣言しても良いと、そう思うんである。

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